先日、茨城 かすみがうらの金剛寺様でお写真を撮らせていただきました。
夏の「施餓鬼(せがき)」という行事のお写真です。

カメラは個人的に好きで小さい頃からずっと持っていましたが
趣味だったのできちんと勉強したことはなく
まさかお仕事としてご依頼いただけるとは・・
ご紹介いただき、使っていただきたくさんのご縁に本当に感謝です。
しかしご紹介いただいたときは 私のこの性格上やっぱりでてくる「え!私でいいの?」というビビリの魔物。
実績もないし自信もないしスキルもないしで
「無い」ところを探してしまえば無限にでてくる。
ご迷惑おかけしちゃうんじゃないかな、って結局はただ失敗するのが怖いんですよね。
でもよく考えれば
それでもいいよと言ってくださる周りの方の勇気というか
そちらの方が何万倍もすごい訳で。
少しでも私のことを信じてこの人にお願いしてみようと思ってくださったその思いを無下にする方が失礼になる。
自分の失敗とか恥とかそんなちっぽけでくだらないプライドなんてどうでもいいやと最近は思えるようになりました。それも信じて任せてくださる周りのみなさんのおかげです。
実際の現場はというと
とてもとても立派なお寺さんなのですがみなさまほんとーーにお優しくて。。
(失礼になってしまうかもしれないのですが)なんだか親戚のおうちにお邪魔させてもらったような居心地の良さ。
行事の後はお食事までいただいて、その後もご住職やお寺の皆様とずっといろんなお話ししてすっかりと長々とくつろいでしまいました^^;
みなさんからお聞きするお話は全て素晴らしく
特に今回心に残ったフレーズが2つあり
「出された御膳は全ていただく。」
「人と比べるから辛くなる。人ではなく自然と比べる。」
でした。
「出された御膳は全ていただく。」
というのは、
自分に課された課題を好き嫌いなくまずは全ていただく。
自分の前にやってきた課題だったり超えるべきものは何か意味があってきたもの。
食べる前にあれこれ言うのではなくまずは全ていただいてみる。
自分の経験でやるやらないを判断してしまっていては貴重な機会を逃してしまう。
一見無理だと思えるようなものも、今の力で全力で向き合ってみる。まさにこのお仕事をいただいた私にとって身に沁みるお言葉でした。
「人と比べるから辛くなる。人ではなく自然と比べる。」
休憩中にご住職とお話させていただく機会があり
何かの話の流れで、人はそれぞれが素晴らしい存在なんだというお話のあと
ふと、どうしてそれでも人は自信をなくしてしまったりするのでしょう?と言う私の問いにお答えくださいました。
「それは自分と『人』を比べているから。
相手が人だとどうしてもあの人より良くなりたいとか悔しいとか相手を羨んだりする。
自分と比べるべきなのは『自然』です
空や木々と自分を比べてもああなりたいとは思わないでしょう?ただ美しいなとすごいなと思うだけで。」
わー なんてすごい。自然と自分を比べる・・そんなこと考えたこともありませんでした。
比べるに値しないと思っているから。
ああなりたいな、と思う先が自然。
雄大で美しくて雨も風も柔軟に受け止めるあんな自然に。
かっこよすぎる。。
目指す先のレベルが違いすぎて、なんだかお話を聞きながら泣きそうになってしまいました。
このお仕事をいただけなければ聞けなかったお話。
写真の方は撮りながら、もっと私に知識やセンスがあればとたくさん悔しくなりました。
でも挑戦させてもらえて良かった。
ご縁をくださり、挑戦させてくださりありがとうございます。
出された御膳をいただき
いつか比べる先があの雄大な自然になれるようになりたいなぁ。
